最近は外気功を使える気功術師がとても増えてきました。ちょっと昔であれば、気功といえば内気功と外気功という分野分けがされ、内気功はあくまで健康運動的な方法。実際には気がどう動いているかはまったく分からない状態が基本とされていました。
それに対して外気功は、他の第三者に対して気を放つので、気が実際に使われていなければ成り立たないという厳しいものでした。ですから、外気功を取り扱う人間は、ごく少数の特別な能力を持った人と自他ともに認められてきたのではないでしょうか。
実はそこに気功の大きな落とし穴があったと私は理解をしていました。私自身が外気功に取り組み、自分の能力で気の出し方を開発した時に、体のいろいろな理論を考えました。その中で基本的なノウハウとなったのが、心理学の一部の考え方だったと理解しております。なぜ心理学の一部と表現したかと申しますと、気功において既成の心理学が通用するほど簡単な世界ではなかったからです。
世の中には、多少心理学を勉強した者で気功を取り扱える人もいるのかもしれません。しかし現実としては、心理学の専門家と言われる人が気について分析した書籍などに目を通しますと、気についての考え方がまるでめちゃくちゃ。やはり、気功を使えない人間が自分の得意分野から想像した一方的な論理にしかなり得ていなかったのです。
詳しい内容は忘れましたが、その時の強い印象は心理学の理解自体が私の考え方とはまるで違い、正直なところこの心理学の考え方では人の心はまったく理解出来ない、と真っ向から批判出来るような内容でした。
いつかこの作者と直接お会いして、心理学の間違い、気の理解への間違い、科学としての分析方法の間違いなどについて、話す機会があればよいなと考えておりましたが、その機会ももう無いようです。
気には質というものがあります。そしてその質を作り上げるものが気功術師の能力の差ということになります。しかし一般的に、一人の気功術師が作ることが出来る気の種類は決して多くはありません。それどころか一種類の気の種類だけの操作で、満足されている方がほとんどではないでしょうか。気功治療などを行ういわば気功の専門家と呼ばれる方々においても、気の種類を持っている方はいないと今現在は考えるべきでしょう。
なぜなら、世の中で気には種類があると述べているのは、私以外に聞いたことがないからです。私自身は何種類の気を取り扱えるかは自分自身も理解はしておりません。ある程度の種類が使えると、気功治療の現場においても使う種類は限定されてくるからです。
気についてそのすべてを述べることは出来ません。ただし、限定的な特徴については、もっともっと科学的な分析が必要と考えます。その前提で話は進めますが、気とは人の心の現れ、即ち心の別な姿とも言えます。もちろん、すべての気功師が取り扱う気功がこの表現に適切に当てはまるか否かは、別な問題と言わざるを得ませんが、基本的には気とは人の心の現れなのです。
人の心は心理学で考えると、四つのステージが知られております。まず一番表面の意識、このことを顕在意識とか、表層心理などと述べております。そしてその意識より深い位置に存在しているのが、潜在意識と呼ばれているいわゆる深層心理の世界になります。その他にも専門的には、個別的変性意識、集団的変性意識などと名づけられより深い世界へ入っていきます。
実は私の慧真導気功術においては、これらの心理学的なステージごとにより気の取り扱いの意味が変わってきます。別な表現をしますと、心理学という学問の中でもまだ統一されていない、あやふやな机上の理論の段階から、気功という具体的な実践に関わっていかなければいけません。
つまり学問の実証性が不確かなものであっても、気功に世界においては確実なものとして完成させる必要があります。
話を少し戻しますと、顕在意識という心の第2ステージで操作が出来る気の質と、第2段階である潜在意識の具体的、かつ正確な意識コントールで作り出すことが出来る気のステージが、別に存在しているということなのです。一般的にはこの第2ステージまで到達することが出来れば、気功術師としては気の達人の領域を超えることになりますし、学問的にも心のスペシャリストとしての能力が身に付いております。ここから先のステージに関しては、一般的な可能性は皆無なのでここで述べることはしません。
では実際問題として、世の中の気功術師が使う気はどの意識段階にあるのでしょうか。結論から申し上げますと、意識の第1段階にそのすべてはあります。ただし、その中でも特別な能力を持った気功術師の中には、第2段階でしか作られない気が偶然混ざることがあります。しかしだからと言って、第2ステージの意識をコントロールして作られた気ではありませんから、その信頼性や再現性が安定しないのです。気の質へのチャレンジはまだ始まっておりません。この領域を習得をするチャンスの期間とも言えます。いずれこのことに気づく気功術師が生まれてくるのは時間の問題でしょう。
慧真導気功術においては、気功とは超能力ではありません。最先端の科学なのです。ですから、目に見えない気を取り扱うにしても、気功治療という言葉を使うのであれば、ただ気を放射するだけの気の治療は、治療と呼べるものではないのです。やはりきちっとした体のメカニズムを知っていく必要があるのです。しかしそこには、必ずしも医学の知識だけが体の知識ではないとも合わせて知っておく必要が気の世界には存在しているのです。手技療法は今、まさに科学の道を選び始めたのです。それが、慧真導気功術の見つけた道であり、シモザワ整体の進むべき方向なのです。気に興味のある皆さんは、まだ超能力としての気が素晴らしいと思われますか?地道ではありますが、慧真導気功術は本当の意味で気を科学し続けているのです。
具体的に気の質を磨くためには、具体的な脳の活性化が必要となります。そのために一番有効なのは、質の高い知識となります。ここで述べるところの質の高い知識とは、いわゆる一般的な学問のことを示してはおりません。一般的な学問には、実践の際には不要の言葉、不要の知識がたくさん含まれております。
つまり、気にとっては、いらない知識は単なる垢のような知識となります。では、何のために知識が必要となるか。その知識とは人の役に立つということです。具体的には、気配りという形で出てきます。この気配りに関しては、いろいろな考え方が生まれてきそうなのですが、実はベストな状態にはそれほどの種類はありません。ここで話の角度を変えて説明をしてみます。
例えば、何らかの病気で病院を利用したとします。その時に処方された薬などが効果が出るか否かは実際には使用してみなければ分かりません。よく言われるのが、何%の人には効果がありますよというように、その薬の効能や技能に対してパーセントで表現してきます。
実は気功においては、この%で表現するということが、間違いとなります。それは知識としては曖昧ということになりますから、その知識を基本として作られた意識は曖昧なものとなります。
気功で使われる知識とは、基本的には100%でなければなりません。勿論一つの技法で100%を求める訳ではありませんが、例えば一つの技法で5割の人の問題が改善したとすると、残り5割のうち3割の人にはさらにこういう問題がある、別な技法をプラスする必要が生まれてくる。また、さらに残り2割の人には、また特別な問題がプラスして存在しており、その対応も必要となる。と考えるのです。一つの方法論で100%の効果を求めること自体があり得ないことであり、間違いでもあるのですとこのように考えていくのです。
ですから、ある意味においては、西洋医学で考えられた医学知識の多くの場合において、気の知識としては採用しきれない部分がたくさん出て来るのです。気とは意識と知識で決まります。例えその学問が何であろうと、適当な部分は気に置き換えると不適切な気を作ることしか出来なくなります。そう考えると気功における知識とは、そのほとんどの場面において、自分が発見するしかないということにも繋がっていきます。豊かで質の高い気の質を得るためには、世の中で自分しか知らない知識の森や山がたくさん必要となります。その手始めとしては、毎日の気配りから始まります。そしてその気配りの基本は、人の苦しさや悲しみを知り、そこに喜びの道を開いていくという心掛けが大切です。世の中で言われるところの単なる良い人では、残念ながら気の世界ではまったく通用しないのです。いずれにしましても、質の高い気を得ようとすれば、いろいろな方面に対する豊かな知識も大切なことです。
気功の世界でよく使われる間違った言葉として「イメージ」という言葉ではないでしょうか。気の操作の際に「〇〇をイメージして下さい」「〇〇を意識すると良いのですよ」「優しい気持ちで」「細やかな心で」などと抽象的なイメージを連発します。このような抽象的なイメージを連発することを求める気功の専門家がいたとしたら、それは100%インチキか偽物と考えてよいでしょう。残念ながら、人が作るイメージには、正確さがありません。つまり正確さを欠いた前提条件をもって、意識や気を操作してはいけないのです。ごくごく当たり前のことです。
私は学生の頃、バドミントン部に入りました。部員が多く、新入部員はコートに入ることは無論のこと、シャトルに触ることも許されません。許されるのは、基礎体力作りと称した拷問まがいのトレーニングと、ラケットを持っての素振りです。100回、1000回、10000回、クラブ活動の時間が終わるまで素振りを続けるのです。その場に立っての素振り、フットワークを使っての素振りなどと、キツさだけは一人前。実際にバドミントンを、シャトルに触れることが無いイメージ作りである素振りを永遠に続けるわけです。たまに回ってくるシャトルを実際に打つチャンス。だが、当然のこととして与えられるシャトルは壊れたシャトル。新品のシャトルなどは、間違っても打たせてはもらえない。それでも新入部員はこの時とばかりに一生懸命シャトルを打つ。当然、シャトルはまったくコントロールされない。コントロールされないどころか、ラケットにシャトルが当たらない。まさに素振りのイメージトレーニングの成果である。
シャトルを実際に打たないで作り上げたイメージトレーニングである素振りをするということは、素振りに時間をかければかけるほど、バドミントンは下手になっていくのです。そして、先輩に怒られる。極端な話、素振りの練習をしていなければ、ラケットの操作はそれほどスピードが出ないので、シャトルに当たらないということは生じないのです。
素振りを練習すればするほど、ラケットの振りのスピードは速くなります。その分シャトルには当たりにくくなるのです。そして、シャトルには正確に当たらないバドミントンのフォームが知らぬうちに完成していくのです。
ここで言えることは、イメージトレーニングとは、実際の豊富なトレーニングが目に映るくらいの経験が積み重なって、始めてイメージトレーニングが上手くいくのではないでしょうか。多分、素人が取り組む方法としては、イメージトレーニングから始めるというのは、あまり適切な選択ではないと言えます。少なくとも質の高い気功術においては、イメージ作りといった曖昧な時間はありません。
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