[自分の身に付けたいことと、実際に何を学ぶかをしっかりと考えましょう]
慧真導気功術の教える守備範囲は、皆さんの想像以上に広く深いです。ですから中途半端な取り組みや学習で身に付くものと本物とでは、信じ難いほどの差が生まれます。あくまで、習う側のレベルや取組スタンスによっても、身に付くものが大幅に異なることは言うまでもありません。そうです。あなたが学者レベルの取り組みで臨めばノーベル賞も可能でしょう。あなたが人々を病みから本気で救おうと取り組めば、あなたは歴史を創る人になるでしょう。しかし、あなたの本質に「努力の言葉」がなければ、慧真導気功術の全ノウハウをもってしても、良い人生を得ることは出来ません。
例えば…
自分の健康管理を目的に実践的に使える知識を取得する『健康教室』、教室活動を中心として何でも話せるお友達や仲間作りを目的とした『健康教室』
(他の気功術との特徴的違いは~?)
ごめんなさい、他の気功術のことは本やビデオでの紹介程度の知識しか私自身が持ち合わせていないので、コメントを控えたいと思います。
慧真導気功術は、日本語にある様々な「気」という文字の中にある、気の世界に着眼しました。実は、面白いことに『気』と言う漢字を使った熟語には、人々の本質的問題の原因に関わる事項が多々あります。つまり、これらの言葉の本質を探ることで新たな道が開けるのです。こんな身近にあった『人間の本質への解答』
人々が一生の中で出合う「様々な問題や人生の苦難」を乗り越える術を担うことを目的とし、また、同時に人間の本質を追求するものでもあるので、人生の迷いや意義を問いただすことも可能になるでしょう。
≪整体院の開業とともに、真剣勝負の日々が続く!≫
そもそも私自身が、民間療法である整体師の仕事についた時に、今ある既成の技術では解決出来ない現状に突き当たりました。
それは、西洋医学とか東洋医学とかの問題ではなく、病と医学の関係という根本的な問題でした。
私がこの整体師の仕事についてからは、いろいろな意味で驚くことばかりの毎日でした。
開業したての頃、「宣伝もしていないし、正直、誰もしばらくは来院しないだろう。」と考えておりました。
私の住む街札幌は病院の数も多く、私の整体院より徒歩15分以内で、病院は多分十ヵ所くらいはあるのではないでしょうか。それなのに、私の予想に反して多くの方が私どもの整体院を訪れたのです。
その度に私は決まり文句のように尋ねました。
「病院には行かれないのですか?」 「病院では何と言われたのですか?」
などと尋ねると、決まって
「病院では検査だけはしてくれたが、他に何も治療はしてくれなかった。」
と、口を揃えて言うのです。何と、驚くことに「病院では何もしてくれない」と皆が言うのです。
そして、言うのです 「治りますか?」
天の声!・・・・
(知るか!まだ、何もみていないわ、占い師でもあるまいに。大体だ、私だって多額の保険料をきちっと納めているし、病院は、その保険料を使って何やってんじゃ!)
そして、答えるのです。 「性格の良い人は、治ると思いますよ!」 と。
すると「えっ・・。じゃ・・私、性格が悪いから・・無理かも・・」笑い!
「えっ・・、困ったな・・じゃあ・・頑張ってみますね・・。」
そんなやりとりと共に相手の身体にアプローチするのです。
開業して一年ほどで、手の平だけでも検査法として500種類ほど発見していました。
私どもは当然健康保険が利きませんから、最低限の人件費程度と経費は必要になります。
となると、玄関のドアを開けていらした方が、ドアを開けて帰る時までに、納得のいく程度の変化が(症状の改善)が必要になるのです。
それは相当の真剣勝負です。毎日毎日が真剣勝負!そんな日々の連続でした。
開業していた時はすでに気功術を自分自身で論理構築を果たし、独自の問題解決法を様々なかたちで、様々な理論や法則を発見しておりました。
人間の身体には、多種多様な法則の中にありますが、西洋医学に代表される化学的な側面。漢方に代表される東洋医学的な側面、いろいろな国に伝わる伝統医学。しかし、共通しているのが薬といわれる、化学変化に作用させる化学療法であるということでしょうね。
しかし、残念ながら人間の身体は化学の実験室ではありません。確かに有効な手法ではありますが万能なわけではないのです。
私が、慧真導気功術を開発してからは、今までの概念にとらわれることなく、人間の問題(病を含む)は、この多種多様の法則の中で様々な側面や特徴を見せるのです。
私が発見した法則は、一般の方には到底理解し難いものでしょう。人間は科学の名のもとに多くの物質を得ることが出来ましたが、同時に心の大切な豊かさを失ったのかもしれません。
慧真導気功術独自に発見したものとして、シモザワ整体力学療法という、シモザワ整体で中心理論です。
人間の身体における物理学的側面、即ち力学的な問題とそのシステムに注目した思考です。
人間の身体には常に力学的な力が作用しています。様々なかたちで発生した力のエネルギーは、運動エネルギーに変換され消費されますが、無理な使い方や、長年の習慣化した同じ動きを続けると、そのエネルギーは行き場所を失い、身体に蓄積されていきます。
その後、筋肉や骨格や細胞、時には内臓へと蓄積されるのです。その状態が身体の歪みを生み出し、痛みやしびれの信号となって教えてくれるのです。
長期間の歪み状態は、身体に器質的変化を生み出します。この時、身体は異常な化学変化を起こすのです。しかし、この恐ろしい状態も生活の環境を変え、身体に与え続けた悪い環境を変え、ちょっとした力学的アプローチで補助修正してあげ続けると、多くの場合ある日好転し始めるのです。
私どもが良く聞く言葉として 『不思議!』 というものがあります。本当は、不思議でも変でも何でもありません。むしろ、当たり前のことなのです。
私は、以前ある自動車メーカーの工場に勤務し、生産工程やクレームにおける車の音や振動の研究をしていたことがありますが、自動車やロボットなどの機械を作る人にとって、材料力学やリンク機構学的な思考は常識でしょう。
つまり、機械工学において、力学的な側面を考慮しないで設計されることなどあり得ません。人間にだって力学的側面が考慮されないなど、むしろ私にとってはあまりに不思議なことでした。ここに『シモザワ整体力学療法の基礎理論』が生まれたのです。
シモザワ整体力学療法では、いくつかの重要な身体に現れる基本的な形態がありますが、まずはそれらを見逃さないことが大切です。つまり、正常な状態と異常な状態を判断するための様々な観察から始まりますが、単純にここが悪いとか良いとかの観点から判断されるのではありません。
つまり、今観察で判断された身体の各箇所が具体的にどこのどの部分に、どのような症状となって訴えてくるかがポイントとなります。次に、その訴え、症状と身体の関係においてどのような使用環境(生活環境)から生じ、身体のどの部分にどのような影響を与え、どのようなシステムでどう変化し現在に至るかが大切になります。(例えば、腰椎の椎間板ヘルニアは病院では簡単に言うと腰椎が圧迫され椎間板が押し出され神経を圧迫し激しい痛みを発生させるのだよと・・)だから、押し出された部分を手術で削除するのだと。大体こんな説明を受けた人がほとんどだと思いますが!
しかし、私はこう考えるのです。なぜ、神経が圧迫するほど腰椎に力が加わるの?腰椎に力が加わったらヘルニアになるの?腹筋や背筋がなければヘルニアになるの?では、ヘルニアになる人とならない人との差はなんだろう?また、手術をしても痛みが消えなかったとの話しも多々聞かれます。
私は、もともとの仕事が分析や解析が仕事でしたので、医学知識があろうとなかろうと分析の手順からするとおかしいと感じるのです。機械に当てはめると手術しても傷みが消えないとは整備や分解修理に出したが問題が解決されていない、つまり明らかに判断ミスになるのです。即クレーム!誰も許してはくれません。ひどいケースになると「手術は成功したのだから痛いはずがない!」と、神経内科や精神科が紹介されるのです。もし、自動車が修理工場に出され整備士が整備したとき、お客の訴えた症状が改善されなかったときに、その整備士はお客さんに神経内科や精神病院を紹介するでしょうか?勿論、精神的な問題を持っている患者さんもおられるでしょうが、それでは手術はなんであったのでしょうか?
科学の名のもとに最先端の医学を学ばれた方々が知り得たことだけで物事を判断される、ある意味現在の医学レベルでは限界なのでしょう。しかし、受ける身はたまったものではありません。
では、ここに何が起きているのか?
ここに、事実に素直ではない自分がいるのです。自分の知り得ている科学と今、目の前で起きている事実が何をもって判断すべきなのか、それは、事実に謙虚になり、事実に素直になることが科学だと考えるのです。
事実は、どんな最先端の科学をもってしても変わるものではありません。
まさに、今知り得る科学の中に科学の名をもって封じ込めることこそ非科学的な発想なのです。日本にも世界にも優れた伝統技術がありますが、ある意味最高の科学技術かも知れません。話しは少し外れますが、産業技術にとって正確なスケール、即ち「正確なものさし」が絶対的に必要になりますが、あまり世間で注目されることはございません。世の中に、「正確なものさし」が存在しなければ優れた技術など存在し得ないのです。
私たちは、お店に行くと正確なものさしをいとも簡単に手に入れることが出来ます。しかし、お店のものさしの基準になる「さらに正確なものさし」をどのように手に入れるかを知っておられる方は、ごくわずかな人ではないでしょうか。実は、ジョウバンなるものがございましてその正確さは1ミクロ以下の精度ではなかったかと思いますが、問題は熟練された職人さんの手作業により作られるのです。科学技術では作れないのです。私がこのことを知ったときはかなりのカルチャーショックでしたね、科学が追いつかない世界がまさに科学技術の基本中の基本の中に無かったのですからね。
話しは少し脱線しましたが医学もそうでしょうが事実に謙虚になり事実を素直に受け止めることが何より大切で必要なことでしょう。まさに、事実を認めることこそが科学の意思だと考えるのです。決して、難解な言葉を使って説明することが優れた思考ではありません。自分の知り得る情報の中にむりっくり押さえ込むことこそ非科学的なことでしょう。たとえ、現代科学や医学にて解決出来なくてもです。むしろ、そこに着目することこそ進歩に繋がるのです。
よく、テレビの番組で、「最先端の科学が気の秘密を解明する」と、何かと思い楽しみに見ていれば・・くだらない・・・
何と、サーモグラフィーで映し出しましたとか、遠赤外線がどうたらとか~えらい科学者がどうしたとか・・・いつもあごが外れそう!
この非科学的発想! この非科学的なド素人科学者のコメント!
そんなとき、いつも私のあごは・・・外れそう!
経済のことが全く理解出来ないことで経済を悪くする経済学者。
人の心を理解出来ない心理学者。選挙活動が政治だと思っている政治家。嘘でかためた宗教家。非常識な生活しか出来ない教育者。まともなことが考えられない知識人といわれている人。・・・本音がまる見えのスピリチュアルカウンセラー、本当は何も知らない霊媒師、気がまったく出ていない気功の達人、気を全く知らない気功の指導者、どこまでいくんだこの世界。かなり、脱線した~しかし、腹が立つのうーこの世の中!
~気を取り直して~
ここまで読まれた方はさぞかしすごいことをするのだろうと思われるでしょう。しかし、ぜんぜん違うのです。どこの誰が話したか知りませんが「神々に間違いはないのです」と、まさに私もそのように考えるのです。実は、腰椎に問題のある方はほとんどその上半身の筋肉や骨格に歪が現れています。つまり、その歪に対し問題の歪が解消されるように操作していくのです。勿論、強い力も痛みを伴うような手技は必要ありません。むしろ、強い力や痛みを伴う手法は逆に問題を大きくする場合もあります。つまり本質的な問題は、身体のバランスをどう判断しどうアプローチするのかと、何がどう変化するかを理解することが必要なのです。
一般的には指圧やマッサージをすると身体がほぐれ楽になる・・ではあまり解決しません。
ただし、この身体における力学的な変化を読むにはまずは既成概念や常識にとらわれることなく、常に、起きている事実に素直で謙虚な取り組みから開始されるのです。そう、無限の優しさとともに・・・人の可能性を信じ・・!
残念ながら、ここでシモザワ整体力学療法の詳細を話すのは相当な量の説明が必要となるので別の機会に発表出来ればと考えます。
世の中には、ありとあらゆる難病が存在しています。しかし、私は医者でも学者でもありませんし、そこを目的としているのではありません。あくまで、癒しを目的とするのですが、人の身体を私の立場で研究する過程でいわば副産物としていろいろな法則や身体のシステムの発見に至ったのです。ですから、理論のすべてにおいて完璧に完成しているわけではありません。まだまだ、可能性があるのです。むしろ可能性のスタートでしょう。今後、様々な方が学び活用研究していただければと・・・
私どもは病院でもなければ医者でもありませんから、私どもで身体の問題(病気など)に対し治療希望されても治療は出来ません。たとえ、治すことが出来ても・・・・残念ですが!
私どもで施してあげられるのは整体術や気功術の範囲です。しかし、良くも悪くも人の噂に口をふさぐことは出来ませんよね。
私は、慧真導気功術なるものを教えております。
あるとき私の一人の女生徒が半べそをかきながら尋ねてきました。
彼女は30代後半を過ぎていました。私のもとに来てから一年ほど経っていたでしょうか? 教室ではかなり不真面目・・適当な性格!習い事が好き・・だが結構飽き性・・・精神世界を学ぶにはかなり問題が多い人でした。
「せんせい、わたし癌です。婦人系の癌で・・レベルが4なんです。」
私は笑いながら「そう、たいへんだね~」
彼女は、私の対応にかなり驚いたようでした。当たり前ですが。
実は、彼女は私の整体を何度か受けておりかつ、気功術の生徒ですからある程度は何かあることくらいは気付いていました。このときすでに彼女の病気に対する対策を考えていました。しかし、彼女のこの性格では対応出来ないと思っていたのです。一つには、私を頼り切ることで、自分でこの病気に対応しなければならないことをしなくなる。そのためには私との関係において絶対的な上下関係が必要だったのです。まさに命をかけた上下関係を作りだすことが重要でした。彼女の癌は、私がただ「気」を当てれば治ると言う次元で済む話しではありません。
二つ目としてむしろ、彼女の運命を変えなくては・・・と、そんな思い!
「せんせい、わたしを助けてください。」
「えっ、なんで・・!」「病院に行きなさい。」
「病院で検査をしてきたし病院の先生とも話してきた。」
「じゃ、いいじゃない病院で治療受けなさい。他に方法はないでしょう。」
「治療法も聞いてきたけど・・わたし分かるの・・・絶対治らない!」
「そう、じゃ大変だね~」となおさら他人事にする。
彼女は泣きながら「それじゃ、私、死んじゃう!」
何も無かったかのように「そうだね・・」益々無関心な私・・・いいぞ!
「わたし、何でもしますから・・・、真面目に教室に出ますから・・助けてください!まだ、わたし、死にたくない!」「お願いします。お願いします先生!」「先生たすけて!」 ふうむ・・・なかなかいい調子だ!もう少し念を押しておこう~「何で、私が助けなくてはならないの?」
「先生以外にわたしを治せる人はいないんです。」
確かにそうだろう・・・
「しょうがないな~じゃ・・真面目に教室・・やれよ!」
「はい、やります。真面目にやります。真剣にやります。」
「そう、真面目にやるんだぞ!」
「はい。真面目にやりますから~でもそれだけでいいんですか?」
いけねぇ~抜き過ぎた。確かにそれだけで足りるはずもない。
「確かに、足らないよね。じゃ役目を与えるよ。」
「なんでもしますから・・言って下さい。」
1カ月後から教室をやりなさい。
生徒を自分で集め、自分で内容を考え、自分で教室を運営しなさい。生徒の人数は15名です。15名でスタートします。もちろ、内容はあなたが考えた分は質問には答えます。以上。
「わたし、必ずやります。」
彼女は、自分の努力で1カ月後から教室を無事スタートさせました。
そして、必死の教室運営~その三ヵ月後彼女の癌細胞は消えていました。
同じ病院で検査をし癌が消えていることを確認したのです。勿論、その病院の医者とは大げんかをしたそうです。
「なぜ、治療に一回も来なかったんだ!と・・」
「なぜ、癌が消えているんだ!と・・」激怒していたそうです。
慧真導一般コースがここに始まりました・・・・・・・
たかが整体や気功術。こんな民間療法で100%の結果を求めるなどとは暴言でしょうか、それとも茶番でしょうか?
私が整体院を開院して最初に感じた問題は、人々は100%の結果に飢えているということでした。いいえ、飢えているという表現より、諦めに近い感覚だったのかもしれません。実際に身体に問題を抱え痛みと共に生活をする身になって考えると、100%治したいのは当然のことです。しかし、現実問題としては、多くの痛みの中には正しい処置や解決法が存在していない可能性が多々あったのです。
しかし、人々に伝わる言葉としては、いろいろな痛みに対して実に様々な情報を手に入れることが可能です。しかし、その情報の真意を教える者はおりません。それは最新医学とてその解答を持ち合わせていないのは現実でしょう。しかし、人々にとっては痛みを解決するという問題は技術でも科学でも医学でもありません。それは切羽詰まる現実であり、大きな未来への不安と悩みでしょう。
そんな中で民間療法である一整体院といえど、その現状から逃げる選択は不適切であり、不親切であろうと私は開業当時感じました。確かに、整体院の仕事、一つのビジネスと考えた時に必要な技術レベルはそれほど必要はなく、むしろサービス業的なサービス内容の商品化の方が商売的には成り立ちます。この仕事を商売として考えた場合、現実の問題としては、多くの人気店がこのサービス力のレベルと繁盛が一致しているようです。必ずしも本質的な技術即ち、人々に存在する痛みの問題に対して100%の解答を、一整体院が求められているはずはありません。
しかし、整体院を開業し痛みの中から必死で痛みと闘うクライアントと接する時、私の心は商売の繁栄というより、技術的な100%の解答に向けて進んだのでした。その結果として、慧真導気功術が生まれ、シモザワ整体術という二つの独創的な手技を見つけ出したのです。今現在残念ながら100%とは言えないかもしれない、しかし、限りなく100%に近い技術水準を、未だにスタッフ一同追い求めている事実は変わりません。一地方都市の一握りの人間のチャレンジですが、生涯をかけた本気のアプローチは日に日に成果を出しつつあります。今後の発展にご期待下さい。
古人の言葉に『馬を水場に連れて行くことは出来ても、その馬に水を飲ますことは出来ない』といった言葉がありました。表現は不適切かもしれませんが、人の健康についても似たようなことが言えます。どんなに優れた医学であろうとヒドイ生活習慣病を治すことは出来ません。それは、どんな優れた手技療法であろうとどんな超能力を持ってしても解決までにはたどり着きません。説明するまでもなく、人間の身体は動かしてなんぼ、動いてなんぼ、の機能が存在しています。生活習慣病を原因とする問題は、この人の身体を動かすというところにすべての答えは存在しています。しかし残念ながら、この身体を動かすという単純なテーマに対して、病を治すという目標や、目的に対して、適確で適切な運動手法はどこにも存在しておりません。しかしながら、だからと言って、ノウハウがまったく存在していないわけではありません。ただ、各種病や痛みのメカニズムと一致する動きのメカニズムの解明が遅れているに過ぎません。そこに、着目したのがシモザワ整体療法研究室の健康教室であり、慧真導気功術の健康教室でもあります。痛みに対する技術的な研究と、その問題解決に対して適切な動きを指導する健康教室として生まれたのです。整体院で身体の歪を修正し、この健康教室で筋肉的な、また骨格の構造的な動きのデザインを解明し続けてきたのです。今後は、まさに、より簡単な運動手法もしくは運動技法として、様々な手立ての中から紹介する方法を探っている状態です。今後は、書籍やDVDなどを通じた全国展開などの検討の材料として存在しております。今ご覧のホームページなどでも上手に紹介する方法を検討中です。本当に日進月歩で技術改革が進むこの教室のノウハウに対して、時間との戦いになるかも知れません。
気功の世界では、“波動調整”という話をよく耳にします。それが本当の話かニセモノなのか知りたい方は多いですよね。皆さんの身近なところでも“波動調整”という言葉は、自然に使われています。
宝石やパワーストーンと呼ばれている宝飾品ですね。首飾りや指輪、ブレスレットなどですね。石を販売しているお店などで、“波動調整とか邪気を払う”などと言って、水晶の上に宝飾品が置かれている姿を見かけますね。お店の人が、いかにもそれらしくお話(説明)をしていますが、真実を知る人は本当にいるのでしょうか?
正直な所、私も結構「嘘くさいな~」と思えることがしばしばです。そんなことを言い出す私が「私は波動調整が出来ます」などと申しましたらとても「嘘くさい」ですよね。私も他の気功を取り扱う方が「波動調整します」と言っても、まるまる鵜呑みにすることは、逆に、波動調整の実態を知っているだけに、「そこまで、本当に調整出来るの?」となるのです。
つまり「波動調整」と言っても、本当に調整されているのだろうか?と言う疑問の領域を超えることがないのです。私自身も「波動調整」は、あまりしないのですが、プロの気功術師として「必要な時は波動調整をします」。また、教室では実際に体験的に波動調整の実験をしたりして、何がどのようになるのか?調整前と調整後の違い。レベルの差による調整の結果の違いなどを、目の前で見せて行きます。そして、実際に生徒さんにも体験していただきます。そして、その結果に対する評価とレベル向上に必要な指導なども行います。しかし、このレベルの問題ですが、限りないランクが存在しているので、ある水準以上は、普通の方にはお勧めしていません。
波動調整は、飲み物や食べ物などの調整、宝石や飾り物などの身に付ける物の調整、お家の波動調整、人の身体の波動調整などと、ほとんどの調整が可能です。お家を新築する時の地鎮祭なども波動調整の儀式の一つですね。実は、この儀式という行為は、各方面に存在しております。つまり本物の波動調整と儀式の違いが世の中には混在しています。私の目には、むしろ儀式の方が本物らしく見えるのは「気のせい」でしょうか?