海外では気功や気功術の英訳で(キーゴン)という表現がなされている。
私ども慧真導気功術にも、海外の方々からの問い合わせも少なくない。その中でも困る質問者は、他流派の経験者の方々である。特に外気功のノウハウは各流派によって、考え方も取扱い方法(技法)も、また気功で出来る守備範囲もまったく異なってくる。
特に慧真導気功術の守備範囲は、他流派と比較しても広く、基本的なテクニックも考え方も技術的アプローチも違い過ぎて、他流派の経験は使えないと考える方が適切です。
しかしながら、質問者は「私は○○流派を〇〇年間経験しており指導者としても活躍している」というスタンスで質問をしてきます。そして面会指導を求めて来るのです。しかし、他流派をいくら経験しても、慧真導気功術のテクニックをマスターすることは不可能なのです。「経験」というプライドを捨てて取り組んで、初めて慧真導気功術の実のある理解が始まるのです。それは、他流派の名門の宗家といえども例外ではありません。
気功術の世界は何かをやっている姿を「見ただけ」でも、「ほとんどのことが出来る」のです。つまり見て出来なければ「無理」ということになります。
これは、気功術の守備範囲の違いによる、気功術の使用領域が異なり過ぎることが原因となります。つまり、使用する気功術の基本的な使用範囲が広がり、気功術の取扱い領域が拡大すれば、必然的に出来ることや見ただけでも他流派のテクニックが使えるようになります。
慧真導気功術の動画で紹介している 「気でのお遊び」 は、使用する気の取扱いテクニックの一つの表現であり、単純なテクニックではありません。
つまり、これらのテクニックは画像を見ただけでも出来る人(出来るレベルの人)は、出来るのです。
気功術は、私どもでは 「意識のこまやかさ(komayakasa)の領域」 と理解しております。つまり、「意識のこまやかさ」 は、意識の中に気の基となる 「こまやかな幾つもの思考」 が存在しています。
つまりこの潜在的な思考の領域を、具体的な思考をもってコントロールします。心理学的には 「潜在意識」 と表現されている分野で、慧真導気功術では、さらに心理的に深い分野である心理学でいうところの 「変性意識」 の分野まで操作していくのです。心理学の領域でも、未だに実態のほとんどが解明されていない領域を、自由に取り扱う必要があります。
確かではありませんが、日本人の行う気功術の中に、漢方の気功の流れを組んでいない流派の中には、キーゴンとは全く違う気功が存在している可能性があるであろうと私は考えております。
特に日本の大昔に消えた「神道術」の流れや、元々、日本国は仏教と神道の両方の側面を持つ文化です。消えた神道の遺伝子が、日本人の意識の一部に存在し、その心が脈々と流れ、その一部のエキスを組んだ流派も存在していても不思議ではありません。慧真導気功術の意識の遺伝子の中に、そんな日本の伝統が秘められているかもしれませんね。
〈慧真導気功術の学習の前提条件〉
日本の気功術には、「息吹き・気あて・ことだま」という、いわゆる昔の神道術の要素が自然に残っております。
私も過去に簡単な指導を受けましたが、自分で気功術の流派を立ち上げる頃には、自分独自の「息吹き・気あて・ことだま」を使用することが、出来るようになっておりました。
不思議なもので、私の手技療法も、気功術もそうなのですが、必要な時、必要な手法や技法が、自分自身の内部から湧き立つように生まれて来るのです。これは、私の意識の 「本気の部分」 がある領域を超え、意識という領域の中に、自分自身の思考の中心的要素が変わり、まったく異なる領域を中心として考える、新たな思考体系が動き始めたことを意味するのでしょう。
私はこの状態を 「集団的変性意識の活用」 と、述べております。少し、専門的なお話をしますと 「変性意識のマスター」 には、この集団的変性意識の取扱いが、あるレベル以上の理解と具体的な取扱いが求められます。
つまり、脳生理学でも心理学でも、未だに言葉の存在でしか理解されていない、これらの意識レベルの領域を、具体的に使用するのです。
この事実を知る学者の存在は、私は知らないし、実際のところ学者さんは全否定しますね、間違いなく。しかし、事実を超える学問は存在していないのです。慧真導気功術のノウハウのすべては、この事実から始まります。
話は戻りますが、気功術の一つの要素としては、日本的な「神道」の世界を、覗くことも有効でしょう。ですが、同じ覗くにしても、気功術としての考察や理解が必要でしょう。しかしながら、この分野を正しく「気功術のレベル」で指導できる方が、簡単には見つからないでしょう。
なぜなら、この「神道術」は、一般的にはすでに消えており文献などに頼るしか、知識的な理解が進みません。ですが、その実態となると、意識的なレベルでの理解や技術的な知識が必要となることでしょう。
つまり、出来ないという事実は、知らないということであり、決して言葉で補うことは出来ません。
実際に出来ない方が、出来ないことをそれらしく言葉で説明した場合、これを私は「詭弁」と表現しており、気功術の世界では 「ねじ曲がった気」 を作り出す意識になります。
別な表現をしますと 「腐った気」 であり、人に悪い影響を与えます。
ただし、気の世界を知る近道はありません。人を気で動かすだけを目的とした気功レベルであれば、普通、数日の指導で出来るようにすることは、それほど困難なことではありません。しかし、私は「安易な気功を身に付けてしまうことに繋がる教え方」として、インスタント気功術は教えておりません。
気功術を科学的に指導を試みても、科学の守備範囲が遅れており、無理に既成の科学の範囲に収めようとすると、私の知る気功術の世界のマスターは不可能です。
少しお話をまとめますと、日本人にとっても理解が難解を極める 「神道術」 をも、気の世界は関わっているということです。
ですから、場合によっては 「ある種の神道術」 も身に付けた上での理解を必要とする、波動の世界も存在しています。
気功術はこの分野においても、波動の専門家としては遅れをとるわけにはいきません。だからといって「出来ないレベル」の方が、何らかの言葉的な理解を進めてはいけません。むしろ、まったく知らない方が「気の質を決める意識の要素」としては、まだ良いのです。
中途半端な言葉上の理解を、慧真導気功術は、厳しく戒(いまし)めております。あくまで、自分自身の気功術の理解レベルを「架空の言葉」で表現してはいけません。
そのためには、「理解」と「出来る範囲」の、意識的な自己管理が慧真導気功術の学習の前提条件になります。
〈体内に走る力のエネルギー〉
人は実に様々な、いろいろな動きが出来ます。この動きを司る働きは、骨格と筋肉の関係の中で力というエネルギーを使用しております。このエネルギーの使用スタイルには、個人差がありますが、それは生活スタイルと密接に関係してきます。
長年の生活は、個人個人の生活スタイルが関わった、力のエネルギー伝達構造が徐々に出来ていきます。この悪い例が、生活習慣病や成人病といわれる、身体の力学的構造を作り出すのです。
人間一人ひとりが、各々の体型的なスタイルを持っていますが、場合によってはこの身体的体型は、その人個人の体質的特徴を示している場合が多いのです。
つまり、体質と体型には深い関わりがあることを、体内を走る力のエネルギーは表現しているのです。(世界で初めての理論の公開)