解決の出来ない問題は、人々をとても苦しめます。このことが他人様のことであれば簡単な言葉で表現できるかもしれません。
しかし、自分自身や身内の人が不治の病や難病になった時に、皆さんはどうされますか?
多分、インターネットでその病気の情報を集めたり、書籍で調べたり、専門機関で相談したりと、出来ることが限られてきます。当事者は、薄々気が付いていると思いますが、そこに問題を解決してくれる可能性がとても低いことに気づきます。
たとえ、この事実を知らない人でも、現実の時間は確実に人々を苦しめていきます。その中の一部の人は、諦めきれずにいろいろな手技療法を試したり、中にはよく理解し難い宗教まがいの世界に入り込む人もいらっしゃるでしょう。
でもその方々を「くだらない」の一言で解決することは出来ません。いくら、医学が進歩し、科学が発達しているといえども、治すことが出来ない手法をもってしては「くだらない」との表現はむしろ野蛮でしかありません。
成人病や生活習慣病という言葉の中に、実は多くの問題解決の答えが隠されています。しかしそれは、表面的な言葉が情報として広がり、人々が知る言葉とは行動の結果が問題解決のためには、それ相応の分析と解析、即ち、技術的な解明とその本質を探る、もしくは、問題のメカニズムとの直接的な関連を解明していく必要があります。それが出来る、また、それが可能となり得る分析をもってして、初めて問題の原因解決へのアプローチとなります。
一般的には運動という言葉が一般的でしょう。また、ストレッチ、有酸素運動、コアマッスルなどの言葉も、一見その答えに近い存在ではありますが、場合によっては、むしろ悪化させる可能性すらあります。
問題解決に必要なレベルの動きというものはむしろ、人間の本質的な能力と一致しており、決して難しいものでも、安全を損なうものでもありません。
むしろ、安全を損なうような動きは、世間的には高い評価を得る場合が多いのですが、私どもでは、不適切なノウハウとして、採用することがほとんどありません。
人間の永遠の悩みでもあるような、大きな課題 「解決出来ない問題(病気)の原因」 解答はあなたのすぐそばにあります。それを、選ぶか選ばないかの問題になるのかもしれません。
健康のキーワードは、何故このようにたくさんの種類があるのでしょう。また、このキーワードは長年、変わっていないような気もするのは、私一人でしょうか。
多分、効果の代償はあったとしても我々の健康と深く関わっていることには変わりがないと私も思います。
しかし、これらのすべてのキーワードには根本的な思考の欠落が存在していると私は考えております。
上記の二大慢性病は、生活の中で生まれる病気とされています。
この病気の特徴は、長い期間自覚症状に乏しいことが特徴でしょう。また、これらの病気の恐ろしさというのは長い期間をかけて確実に体を蝕んでいきます。
特に医療関係者以外の一般人にとって、自覚症状が薄い病気に関してはとかくなおざりになりがちです。人によってはほとんど問題認識をしていないのが現実でしょう。
これらの病気は最終的には他の病気と合併し、取り返しのつかない状況まで進むようです。つまり、成人病・生活習慣病の初期段階においての問題はなんら健康人と身体上の差は無く、決して生活で困ることはありません。
問題は、医学的な数値の中に存在しているだけで、痛みだとか苦しみという我々一般人が知る病気の状態ではありません。しかし、これらの病気の本質は上記の健康のキーワードの本質的な目的や問題と重なっていきます。
一般的に、健康のキーワードの内容を推進しているのは、ある特定の方々の意見が中心になっております。また同時に、成人病・生活習慣病の健康対策としての具体的な手法が紹介されたり、推薦されていることはありません。医療関係者であれば、成人病も生活習慣病も、その基になる食生活や身体を使う生活の習慣化などはとても重要なことは、言葉上は理解されています。ですが、健康のキーワードの内容を中心とした推奨者たちのレベルで、具体的な提案をしている人はおりません。これは、なぜでしょうか?
この上記のミスマッチ的な思考は、人の持つ安易性、手軽さなどと健康のキーワードが結び付いた結果だと私は考えております。成人病や生活習慣病などの慢性病を防ぐ、健康のキーワードづくりが必要になってきているのでしょう。
ここの部分が明確にかつ分かりやすく、人々に提案・推奨されない限り、本質的な問題の解決まで近づく手法は生まれて来ないでしょう。問題は、健康のキーワードそのものにあるというより、健康のキーワードと体の免疫システムの構造やまた体の知られざる機能、即ち、未だ人目を見ていない体の回復力が今、人々に求められているのではないでしょうか。
簡単に表現しますと、健康のキーワードで推奨されている健康法で、成人病と生活習慣病を治すことは出来ないでしょう。場合によっては、改善することすら不可能な場合が多いかもしれません。
それは、健康のキーワードに表現されている健康法は、あくまで人間の身体の健康を考えた時のある一部を構成する要素であって、身体全体の問題を解決していくノウハウではないからです。
実は当然のことなのですが、物事には守備範囲があることが忘れられているのでしょう。つまり、成人病と生活習慣病に代表される問題の本質は、不健康な生活習慣の中にあるのであって、この不健康の生活習慣を健康を作り上げていく生活習慣に、切り替えればいいのです。
この時の、重要な問題は、成人病と生活習慣病を起因とする病気を持つ方は、ただ単に健康な生活習慣という言葉をもって生活改善をしたとしても、身体の負の借金が蓄積されているわけですから、健康な人の健康生活とは、大きく異なるという深い認識が必要になります。
この深い認識なくして、大きな問題(病気)を解決出来る領域になり得ないのです。
つまり、優れた問題を解決するノウハウに、注入されるべくエキスは、その健康メソッドの完成度が重要なポイントとなります。ですから、病気のメカニズムと改善のメカニズムの正確な提供が必要となります。ただ、この正しい正確な情報に関しては、学問的な見地を重視するより結果を重視することを最前線に置くことが、問題解決への道へと繋がります。